街歩候補地=遊郭史跡シリーズ探訪次回は「横浜」

2018-03-18Sun塩浜白木蓮(都内最大級)と「須崎遊郭」史跡探訪も兼ねて12名(男6・女6)のオフ会を開催した。次回の街歩候補地は、横浜街歩候補地探訪で、遊郭と言うと「港崎遊郭(みよざきゆうかく)」が有名な史跡探訪も含めて開催する予定です。日本の歴史で「遊郭」は何故あったのか?史跡シリーズも楽しからずや!! 

横浜公園の入り口にはこの公園の歴史が案内されています。横浜港が開港される前この辺りは「港埼遊郭」が在ったのだそうです。
慶応2年10月21日に世に「豚屋火事」と呼ばれる大火で遊郭は焼失してしまい。明治維新政府は在留外国人を此処に集住させ、土木技師リチャード・ブラントンの設計によって遊郭跡地に公園、公園から港に向かって新道路が建設され、それぞれが現在の横浜公園と日本大通りとなった。

今迄のオフ会にご参加頂いたことは、「人形町」の公園付近で、吉原遊郭は、元々日本橋人形町にあったもので、江戸幕府が、これを日本堤(現在の東京都台東区、当時は江戸の郊外)に移転させた。前回の須崎遊郭は、東京・本郷(東京大学付近)であったことも、史跡探訪で学んだことでしょうね。昨日(2018-04-05深川界隈史跡探訪)のオフ会は、草加宿で有名な芭蕉の芭蕉記念館と深川江戸資料館に立寄り、城と宿場町に纏わる日本風土誌「遊郭」の発祥原点は、吉原遊郭の発祥は静岡だったことは、城と城趾シリーズのオフ会から学ぶもの=徳川家康が駿府(現在の静岡市)を本拠地と定め、築城したのが駿府城でした。写真機が無い時代に「絵画」で証される歌川広重筆 『五十三次名所図会 府中、安部河みろく 二丁町』二丁町遊郭の情景。がその原点で後世に伝えられています。
何故、健歩会が城と城趾シリーズのオフ会を追加したのか?
それは、日本の歴史が「凝縮」されたことが学べるからです。

今迄のオフ会開催で、参加者達に現地で説明した最初の場所は、樋口一葉祭で樋口一葉「たけくらべ」(吉原遊郭を舞台にした文学作品)に見る吉原の風景(パネル)の館内見学が終わってから、参加者の女性からのリクエストに答えて遊女史跡探訪シリーズが始まった。
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